最高裁判所第三小法廷 昭和54年(あ)398号 決定 1980年4月08日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人向江璋悦、同布施誠司連名の上告趣意について
所論のうち、憲法三八条二項違反をいう点は、記録によれば、所論供述調書につき任意性があるとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き、憲法一五条三項、四四条、二一条一項違反をいう点は、原判決の認定に沿わない事実関係を前提とする違憲の主張ないしは実質において事実誤認、単なる法令違反の主張であり、その余は、憲法三二条違反及び判例違反をいう点をも含め、実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。
所論にかんがみ、職権により判断すると、公職選挙法一八〇条三項の届出は、出納責任者となるべき者の就任の承諾がない限り無効であると解するのが相当であり、これと異なる原判断はこの点に法令解釈の誤りがあるが、右届出の効力いかんにかかわらず、被告人が原判示の支出につき公職選挙法一八七条一項但書の出納責任者の文書による承諾を得ていないことには何らの差異をきたさないから、原審の右判断の誤りは判決に影響を及ぼすものではない。
弁護人岡崎悟郎の上告趣意について
所論のうち、憲法三八条二項違反をいう点は、記録によれば、所論供述調書につき任意性があるとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き、その余の点は、事実誤認の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。
弁護人今井吉之の上告趣意について
所論は、憲法三一条、三九条違反をいう点をも含め、実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
所論にかんがみ、職権により判断するに、公職選挙法一八七条一項の趣旨に徴すると、同条項にいう「選挙運動に関する支出」には、選挙運動に関する終局的な支払先に対する現実の支払のみならず、将来要すべき選挙運動費用にあてるべきものとして金員を選挙運動者に交付する行為も含まれると解すべきであり(最高裁昭和四六年(あ)第七八二号同年七月二〇日第三小法廷決定・裁判集刑事一八一号三一三頁参照)、被告人の原判示の金員の交付がこれにあたるとした原判断は結論において相当である。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(伊藤正己 環昌一 横井大三)
弁護人向江璋悦、同布施誠司の上告趣意<省略>
原判決理由<抄>
(仙台高裁昭五二(う)第三〇四号、昭54.2.5刑事第一部判決)
そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実調の結果をも考え合わせ、所論の当否について判断すると、関係各証拠によれば以下のような事実を認めることができる。すなわち、(一)天野光晴は昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員総選挙(以下本件選挙という)に際し福島県第一区から立候補して当選したものであり、それ以前にも総選挙には昭和三〇年以来七回立候補し五回当選しているものであること、(二)被告人は右天野光晴の妻であり、従来から同人の選挙運動に従事し、選挙運動費用の支出などを担当していたものであるが、本件選挙の公示の前日である昭和五一年一一月一四日ころ、夫の光晴から選挙運動費用として現金七〇〇万円を受取り、その際「事務所から必要経費として連絡のあつたものしか出してはいけない」といわれたこと、(三)その後被告人は、同年一一月一六日ころから一二月四日ころまでの間、原判決の別紙一覧表記載のとおり、前後一七回にわたり、原判示のあま乃旅館において、天野候補の選挙事務所で会計事務を担当していた百川六郎に対し現金合計六六〇万円を交付したこと、(四)右百川は昭和三七年の総選挙のころから天野選挙運動費用の会計事務を担当していたものであり、本件選挙の際も右会計事務を一人で担当していたのであるが、原判決の別紙一覧表記載の各年月日ころ、あま乃旅館に赴いて被告人に会い、その都度「今日はいくらいくら支払いがあり、人件費にこれくらいかかりますので、これだけお願いします」といつたような説明をしたうえで、被告人から前記一覧表記載のとおり二〇万ないし五〇万の金を受領していたこと、(五)右百川は右のように受領した金を天野の選挙運動の人件費、通信費、交通費などに充てたこと、(六)被告人は百川から前記のような説明をうけ、時には請求書なども見せられたうえ、原判示のように現金を交付したものであり、その際百川に「労務賃はなるたけ早く支払いをしなさい」とか「受取りだけはちやんともらつておきなさい」などと話していたこと、(七)天野の選挙運動に関する公職選挙法上の出納責任者として従来の総選挙の時から長島徳重が選任されており、本件選挙の際も同人を出納責任者として選任した旨の届出が選挙管理委員会に対しなされていたのであるが、同人は右届出について相談をうけたことがなく了承もしておらず、本件選挙の運動期間中においても、天野の選挙事務所に顔を出したりはしたものの、選挙運動費用の出納事務には全く関係しなかつたこと、(八)被告人および前記百川は、右のように長島徳重が従来から出納責任者として選任されていることを知つており、本件選挙についても同様に選任されているものと考えていたが、前記六六〇万円の金の授受あるいはその支出等について長島と相談したり打合わせをしたりするようなことは全くなかつたこと、以上のような事実が証拠上明らかである。
右の事実関係によつて考えると、被告人の百川六郎に対する原判示の現金交付が公職選挙法一八七条一項にいう「選挙運動に関する支出に」あたることは明らかというべきである。すなわち、右現金交付は、候補者の妻から事実上の会計事務担当者に対しなされたものであり選挙運動費用の現実的、終局的な支払行為そのものではないけれども、直ちに選挙運動費用の支払に充てられることが予定されたものであり、右事務担当者の手許に保留されることは全く予想されていなかつたものとみられるのであつて、公職選挙法第一四章の諸規定の趣旨に照らし同法により定められた出納責任者の承諾を必要とすべき支出にあたると認められるからである。また、右現金交付が出納責任者又はその補助者に対する選挙資金の交付であるとは考えられない。百川六郎は、天野候補の選挙事務所の会計事務を実際上担当していたものではあつても、公職選挙法上の出納責任者ではなかつたのであり、出納責任者の補助者であつたと認めることもできないからである(公職選挙法二二一条三項三号、二五一条の二第一項二号などには、一定の要件のもとに、事実上の選挙運動費用支出者を出納責任者と同一に扱う旨の規定があるが、これらは当該条文の適用の関係においてそのように取扱われるだけであり、同法第一四章に規定する出納責任者にはこのような事実上の費用支出者は含まれないものと解される)。右百川は、原審ならびに当審公判廷において、自分は出納責任者長島の小走り役あるいは下働きとして被告人から金をもらい各種の支払いをしたものである旨証言しているのであるが、右証言は、同人の他の証言部分や同人の検察官に対する各供述調書などに照らし到底信用することができない。また、被告人も、原審第一回公判ならびに当審公判において、百川は出納責任者長島の使いであると考えて金を渡した旨の供述をしているのであるが、右供述は被告人の検察官に対する各供述調書、原審における証人百川六郎の証言その他の関係各証拠に照らし信用することができない。
以上のとおり、原判示の現金交付は、客観的にも被告人の主観的認識においても、公職選挙法一八七条一項にいう「選挙運動に関する支出」に該当するものと認められるから、この点に関する原判決の事実認定に誤りはなく、原判決が右一八七条一項の解釈適用を誤つたものということもできない。<中略>
そこで、原審記録を調査検討し、当審における事実調の結果をも考え合わせ、所論の当否について判断すると、本件選挙の際天野候補の出納責任者として長島徳重を選任した旨の届出が選挙管理委員会になされていたこと、しかし右長島は右の届出について相談をうけたことがなく了承してもいないことなどの点は、前記一(向江、布施両弁護人の控訴趣意第四点その他についての判断)において認定したとおりである。とすれば、右出納責任者の選任手続に瑕疵のあることは明らかであり、右長島を適法な出納責任者とみることには疑問があるといわなければならない。しかしながら、出納責任者の選任は基本的には民法上の委任にあたると考えられるとしても、その選任、解任、辞任などについては文書により選挙管理委員会に届出をすることが必要であり(公職選挙法一八〇条以下)、出納責任者の職務内容などについても公職選挙法に多くの特別規定が置かれていること(同法一八五条、一八七条、一八九条等)などからすれば、一旦選挙管理委員会に出納責任者として届出がなされた者については、その選任手続に瑕疵があつたとしても、その選任届出を当然かつ絶対的に違法、無効なものとみることはできないというべきである。そして、前記長島が従来の選挙から天野候補の出納責任者として選任されていたこと、被告人は本件選挙においても右長島が出納責任者であると考えていたことなどの点は前記一において認定したとおりであり、本件現金の交付が「選挙運動に関する支出」にあたることも前記一で示した判断のとおりであるから(なお、被告人は選挙運動に関する費用の収入、支出が原則として出納責任者を通じてなされるべきことを知つていたものと認められる)、被告人としては、本件現金の交付について出納責任者長島徳重の文書による承諾を得なければならなかつたものといわざるを得ない。すなわち、被告人が本件現金の交付について承諾をうけるべき相手方は誰であつたかといえば、それは出納責任者として届出がなされている長島徳重であつたといわなければならないのである。本件現金の交付が同人の承諾なしになされたことを適法とすべき理由はない」<以下、省略>